縣と疫病

お久しぶりです。souと申します。

ブログなんてやってたんですねそういやぁ…

最後の更新から5年ですか。

 

そんだけ経ちゃ、当然色々変わりました。

就活で捻くれた私は何故か長野と新潟の県境に落ち着きました。

COVID-19により大学の卒業式はなくなり、地元神戸に帰れないまま一年が過ぎ。

その間にも不和だった両親が別居し、故郷には最早父しかおらず。

その仲裁に入ることすらできず、縣に閉じ籠り続けた令和二年。

 

そして翌年も止みそうにはありません。

セントジョーンズワートは相変わらず眠気を誘うばかり。βブロッカーには多少あやかってます。やらかした翌日などは特に。

けど服用したとこで使えん奴には変わりはない。

 

ろくすっぽ良いことなしですが、風景は良いんです。青い山々が重なり雲掛かって。鳥の囀りも絶えることなく、セグロセキレイと顔を合わせ通勤する日々。

 

けどそれも地元の海には遠く及ばず。

それを自尊として誇示するには私の身は長く離れすぎました。

 

「(自分が)死ねば良いのに」

「死ぬにはどうすりゃええかな」

口癖になったのは大学三年の頃だったか。

繰り返す間に重みこそ無くなったものの、深的な暗示としては衰えることはないでしょう。

 

…なんて辛気臭い事考えながら家路を急いてたら、乾涸びたヒバカリの礫死体を踏みつけてしまいました。

夏日のミミズやないんやから、なんて笑い飛ばそうとしたけど何か涙が止まらなくなった。

 

それに追い討ちをかけるのが、感染情報を伝える町内放送。

「冷静な行動を」なんて呼びかけ、今でこそ慣れたもんだけど、いつか思い返したときには相当異常な様相なんでしょうね。

 

ワクチンが手元に来るのはまだまだ先。

 

人を慈しむために、人から遠ざからざるを得ない時代。

くたばるにせよ、極力迷惑をかけないでいるためにも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この二本の電柱を地元の橋に見立てる空虚。

唯合間が海か山かばかりの話しで後悔には及ばん筈、という自己暗示。

毎日そんなん。

 

『骨をうずめるなら故郷に、でも僕の言葉の死に場所なら███』

amazarashi秋田さんのように言い切れない自分。

いっそ通勤路変えたろか

 

飯綱なんやし化け狐でも出てきてくれんやろか…そしたら気も紛れそうやのにね。